深江町(読み)ふかえちよう

日本歴史地名大系 「深江町」の解説

深江町
ふかえちよう

面積:二三・四四平方キロ

島原半島の東部南寄りに位置し、北部は島原市、南西部布津ふつ町に接し、北西部は小浜おばま町境となっている。町域の北西部に雲仙うんぜん山系の(一一四二メートル)岩床いわとこ(六九六・四メートル)があり、南東有明海(島原湾)に向かって緩やかな扇状台地を形成しており、北部は深江原とよばれる。これらを水源とする深江川やメメド川などが南部を流れ、深江田原ふかえたばると称されている。海岸部を島原鉄道が通り、それにほぼ並行して国道二五一号があり、中央部には国道五七号が延びて観光道路となっている。ほかに県道雲仙―深江線が通る。西部は雲仙天草うんぜんあまくさ国立公園の指定域内。

東部の下瀬野しもせのから中原なかばるにかけての海岸部や南西部のやま寺田中山てらたなかやまから縄文時代早期の土器やま寺梶木てらかじきから同前期や同晩期の土器が出土し、山ノ寺式土器として九州の縄文時代晩期の重要な資料を提供しているとともに、稲作を主体とする社会への移行、また朝鮮半島・中国大陸からの文化波及があったとする点でも重視されている。


深江町
ふかえまち

[現在地名]二丈町深江

一貴山いきさん川・堂の前どうのまえ川の河口部に位置する。深江村に成立した町場で、唐津街道宿駅であった。領主変遷は深江村と同じ。貞享三年(一六八六)の山論書付(平田家文書)に深江町分庄屋として次平の名がみえる。宝暦年間(一七五一―六四)の高一千一〇石余、反別四九町八反余、竈数一四五(文化年間一五三軒に増加)、人数五二七、馬五・牛二五(「手鑑」川上家文書)。文化四年(一八〇七)一二月、新町から出火し新町・西町・東町および元町の一部の一二六軒と正覚寺(現浄土宗)本堂焼失

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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