20世紀日本人名事典 「深田長治」の解説
深田 長治
フカダ チョウジ
- 生年
- 明治41(1908)年3月25日
- 没年
- 昭和51(1976)年4月3日
- 出生地
- 兵庫県氷上郡小川村(現・山南町)
- 学歴〔年〕
- 高小卒
- 経歴
- 父の笹倉三治は長治が生まれた翌月の明治41年4月、仕入れ旅行中、毒殺され金品を奪われた。母深田千代子は大正8年、神がかりして円応教を開いた。高等小学校を出て村役場に勤め、12年尋常小学校准訓導の資格を取り、昭和2年訓導に昇格、24年間教員を務める。戦後、尼崎市城内青年学校教頭を最後に教職を辞し、23年郷里で円応修法会と円応報恩会を継ぎ円応教を設立、管長となる。24年に「教租様御遺文集」(全3巻)を編集刊行。26年新日本宗教団体連合会(新宗連)理事となり、38年副理事長に就任。その間27年には「円応教教典」を作り教義の確立と体系化に努めた。教育界出身の新宗教指導者として関西の新宗教界で重きをなした。死後長男充啓が教主を継ぐ。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報