清元栄三郎(読み)キヨモト エイザブロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「清元栄三郎」の解説

清元 栄三郎
キヨモト エイザブロウ


職業
清元節三味線方

肩書
重要無形文化財保持者(清元三味線)〔平成8年〕,日本芸術院会員〔平成11年〕

本名
柿沢 寿夫(カキザワ トシオ)

生年月日
昭和2年 6月24日

出身地
神奈川県 横浜市

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)中退

経歴
清元節に一時代を画した唄方清元志寿太夫長男。幼い頃から母・清元延香に三味線の手ほどきを受ける。昭和7年3代目清元栄次郎(清元栄寿郎)に入門。19年初代栄三郎を名乗り、明治座で初舞台。東京音楽学校邦楽科に入学。28年大阪で初めて歌舞伎のタテ三味線をつとめ、その後も演奏会や日本舞踊の舞台で活躍、古典伝承に尽力するとともに新曲作りにも意欲をみせた。平成8年人間国宝に認定され、父と親子そろっての人間国宝として話題となった。11年日本芸術院会員。

受賞
日本芸術院賞(第47回 平2年度)〔平成3年〕 勲三等瑞宝章〔平成14年〕

没年月日
平成14年 12月31日 (2002年)

家族
父=清元 志寿太夫(清元節太夫),長男=清元 志寿子太夫(清元節太夫),母=清元 延香(柿沢とめ 清元節師匠),兄弟=清元 小志津太夫,清元 志津朗(清元節三味線方),孫=清元 一太夫

親族
甥=清元 志寿雄太夫(清元節太夫)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「清元栄三郎」の解説

清元 栄三郎
キヨモト エイザブロウ

昭和・平成期の清元節三味線方



生年
昭和2(1927)年6月24日

没年
平成14(2002)年12月31日

出身地
神奈川県横浜市

本名
柿沢 寿夫

学歴〔年〕
東京音楽学校中退

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞(第47回 平2年度)〔平成3年〕

経歴
清元節に一時代を画した唄方の清元志寿太夫の長男。幼いころから母、清元延香に三味線の手ほどきを受ける。昭和19年初代栄三郎を名乗り、明治座で初舞台。28年大阪で初めて歌舞伎の立三味線を弾いた。その後も演奏会や日本舞踊の舞台で活躍、古典の伝承に尽力するとともに新曲作りにも意欲をみせた。平成8年人間国宝となり、父と親子そろっての人間国宝として話題となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清元栄三郎」の解説

清元栄三郎 きよもと-えいざぶろう

1927-2002 昭和後期-平成時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
昭和2年6月24日生まれ。清元志寿太夫の長男。清元節。母清元延香および清元栄寿郎に師事。演奏会のほか,古典研究や作曲にもとりくむ。平成3年芸術院賞。8年人間国宝。11年芸術院会員。平成14年12月31日死去。75歳。神奈川県出身。東京音楽学校(現東京芸大)中退。本名は柿沢寿夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「清元栄三郎」の解説

清元 栄三郎 (きよもと えいざぶろう)

生年月日:1927年6月24日
昭和時代;平成時代の清元節三味線方
2002年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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