清内路村
せいないじむら
[現在地名]清内路村
現清内路村と地域を同じくする。当村を通過する清内路道は、伊那路と木曾路とを結ぶ交通路として古くから開けたものと推測される。天文二年(一五三三)五月、京都醍醐寺理性院厳助が文永寺(現飯田市南原)に至る記事に、「廿日、広瀬ヨリ飯田迄道九里云々、大山也、此タウケヨリ信濃国也」(「天文二年信州下向記」醍醐寺三宝院蔵)とあり、広瀬(現木曾郡南木曾町)より飯田への道は清内路道であったと推測される。
その後、武田氏の軍用路として改修されたが、波合関(現浪合村)と同じく、南信濃諸士の域外に通じる者のあることを警戒して、当村に関所が設置された。
清内路村
せいないじむら
面積:四三・二五平方キロ
下伊那郡西部、木曾山脈南部から流出する黒川・小黒川(いずれも天竜川の支流阿知川の上流)に沿う高冷地山村。集落が谷あいに、上清内路と下清内路の二区に分れて散在する。
北から東にかけて飯田市上飯田・伊賀良・山本区、南から西にかけては阿智村会地・智里地区、北西に木曾郡南木曾町と境を接する。阿智村昼神を経て当村の南から北に、中央部で北西に方向を変えて国道二五六号(旧清内路道)が通じ、清内路峠(一一九二メートル)を越えて南木曾町広瀬を経て妻籠に至る。この道は古くから伊那谷と木曾谷を結ぶ重要路として利用されてきた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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