清内路関跡(読み)せいないじのせきあと

日本歴史地名大系 「清内路関跡」の解説

清内路関跡
せいないじのせきあと

[現在地名]清内路村下清内路

関所の位置は清内路峠付近から何度か変遷したが、現在の関跡は下清内路の市場いちばから梨子野なしの(飯田市山本区境)の嶮にかかる隘路にある。現在は高松陸舟筆になる「清内路関所址」の石碑をとどめるばかりで跡かたもない。

関が設置された年代は、江戸時代中期に編纂された旧記類によれば、武田晴信が天文二三年(一五五四)に伊那全郡を経略して後、南信濃の諸士が域外に通ずることを警戒して、国境に近い要害の各地に関門を置いたことに始まると推測される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android