日本大百科全書(ニッポニカ) 「清内路」の意味・わかりやすい解説
清内路
せいないじ
長野県南西部、下伊那郡(しもいなぐん)にあった旧村名(清内路村(むら))。現在は阿智(あち)村の北部にあたる地域。清内路村は2009年(平成21)阿智村に編入。旧村域は木曽山脈(きそさんみゃく)中にあり、天竜川の支流阿知川(あちがわ)上流に沿う。標高700メートル前後で、狭小な谷間ではアカネダイコン、キュウリ、カボチャなどの野菜づくり、シイタケ栽培、林業などが行われる。近世は林業が盛んで木地屋(きじや)も多く、南木曽(なぎそ)町漆畑(うるしばた)の木地師集落はその一部が明治初年に清内路峠を越えて移住したものである。また清内路煙草(たばこ)を特産した。耕地が少ないため、山中に平坦(へいたん)部を求めて出作りも行われた。清内路峠直下の清内路トンネルを伊那谷と木曽谷を結ぶ国道256号が通じる。中央自動車道園原インターチェンジに近いことから、観光開発も進められている。
[小林寛義]
『『清内路村誌』(1969・清内路村)』▽『『伝説の清内路』(1972・清内路村)』