清原千代(読み)キヨハラ チヨ

20世紀日本人名事典 「清原千代」の解説

清原 千代
キヨハラ チヨ

明治・大正期の教育者,刺繡



生年
安政5年12月7日(1859年)

没年
大正11(1922)年4月17日

出生地
江戸

経歴
漆工家の清原英之助と結婚。妹の玉は、政府の御雇い外国人として来日していたイタリア人彫刻家ラグーザの妻。明治15年妹夫妻のイタリア帰国同行し、夫とともにヨーロッパに渡る。17年ラグーザがイタリア・シチリア島のパレルモに開設した美術工芸学校に招かれ、刺繡を教えた。23年同校漆工科の廃止で失職した夫に従い、帰国。その後、夫と協力して東京芝に実習学校と女子美術学校を開校した。教育活動の傍ら創作も続け、同年には第3回内国勧業博覧会に出品し、賞状を受けている。27年政府による芝公園造営によって同校が廃校となったのちは創作に専念し、西洋刺繡の技法油絵に応用した油絵刺繡を編み出して高い評価を受けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原千代」の解説

清原千代 きよはら-ちよ

1859*-1922 明治-大正時代工芸家
安政5年12月7日生まれ。清原英之助の妻。明治15年イタリアに帰国するラグーザに夫,妹のラグーザ玉とともに同行。17年パレルモ工芸美術学校の刺繍(ししゅう)教師となる。帰国後実習学館と女子美術学校を開校。油絵刺繍を創案した。大正11年4月17日死去。65歳。江戸出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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