20世紀日本人名事典 「清川幸斎」の解説 清川 幸斎キヨカワ コウサイ 明治期の医師 堺市議。 生年天保12年2月(1841年) 没年大正1(1912)年9月20日 出生地下総国香取郡高岡村(千葉県) 旧姓(旧名)金沢 学歴〔年〕大学東校卒 経歴下総高岡村の金沢家に生まれ、剣を飯篠氏に学ぶが、のち丹波に赴き亀山侯の侍医・清川賢酉に師事、のち養子となり清川姓を継ぐ。大学東校(東大医学部の前身)に入り医学を専攻して、明治5年兵庫県の病院に勤務、6年から堺病院に転じた。13年同病院の廃止により堺に病院が無くなることを嘆き、私財を投じて少林寺町に医院を開いた。37年から堺市議を務め、市政に貢献した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清川幸斎」の解説 清川幸斎 きよかわ-こうさい 1841-1912 明治時代の医師。天保(てんぽう)12年2月生まれ。大学東校(東大医学部の前身)にまなび,明治6年から堺病院に勤務。13年同病院廃止により堺に病院がなくなることをなげき,私財を投じて少林寺町に医院をひらいた。37年堺市会議員。大正元年9月20日死去。72歳。下総(しもうさ)香取(かとり)郡高岡村(千葉県)出身。本姓は金沢。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by