日本歴史地名大系 「清帯寺跡」の解説 清帯寺跡せいたいじあと 京都市:中京区立誠学区東側町清帯寺跡[現在地名]中京区東側町新京極(しんきようごく)通の東側にあった寺。本尊は腹帯地蔵とよばれ、近世を通じて安産の守仏とされた(山州名跡志)。開基不明。真言宗寺院と伝えるが、「雍州府志」はもと天台、のち浄土宗とし、本尊の地蔵を空海作と記す。もと新町(しんまち)通下立売(しもたちうり)(現上京区春帯町)にあったが、天正一三年(一五八五)当地に移転(坊目誌)。天明八年(一七八八)の炎上後再建したが、元治元年(一八六四)兵火にかかり、堂宇・本尊を焼失、明治六年(一八七三)廃寺となった(坊目誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by