清帯寺跡(読み)せいたいじあと

日本歴史地名大系 「清帯寺跡」の解説

清帯寺跡
せいたいじあと

[現在地名]中京区東側町

新京極しんきようごく通の東側にあった寺。本尊は腹帯地蔵とよばれ、近世を通じて安産の守仏とされた(山州名跡志)開基不明。真言宗寺院と伝えるが、「雍州府志」はもと天台、のち浄土宗とし、本尊の地蔵を空海作と記す。もと新町しんまち下立売しもたちうり(現上京区春帯町)にあったが、天正一三年(一五八五)当地に移転(坊目誌)。天明八年(一七八八)の炎上後再建したが、元治元年(一八六四)兵火にかかり、堂宇・本尊を焼失、明治六年(一八七三)廃寺となった(坊目誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む