20世紀日本人名事典 「清棲家教」の解説
清棲 家教
キヨス イエノリ
明治・大正期の華族 伏見宮邦家親王第十五王子;清棲家の始祖。
- 生年
- 文久2年5月22日(1862年)
- 没年
- 大正12(1923)年7月13日
- 出生地
- 江戸
- 主な受賞名〔年〕
- 勲三等旭日中綬章〔明治39年〕
- 経歴
- 女房・伊丹吉子を母に伏見宮邦家親王の第十五王子に生まれる。六十宮と称され、慶応2年(1866年)六十麿と命名され、二条斉敬の猶子となり、京都の真宗仏光寺の相続が決まって仏光寺権僧正・教応の養子となる。慶応4年(1868年)斉敬の猶子を止め改めて邦家親王の実子として仏光寺を相続した。明治5年華族とされ、渋谷を家名とする。6年出家して仏光寺の住職となり、7年名を家教と改める。同年権少教正、ついで権大教正を経て、13年大教正となる。21年伏見宮へ復帰となり改めて華族に列し、清棲家を創立して伯爵となる。家名の由来は伏見宮の京都今出川の御殿を清洲御殿また清棲御殿と称されていたことから清棲を選んだという。23年から貴院議員。この間、30年山梨県知事、31年茨城県知事、36年和歌山県知事、40〜45年新潟県知事を歴任。宮中顧問官、馬匹調査会委員、済生会評議員なども務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報