清水川村
しみずがわむら
[現在地名]西伯町清水川
柏尾村の南東、法勝寺川中流右岸に位置し、集落は手間山(岩坪山)の西麓にある。東は寺内村(現会見町)。地内の清水は八十神の謀略により、手間山の麓で焼殺された大穴牟遅(大国主)を蘇生させた霊泉と伝え、村人は火傷を負うとこの水をつけたという。地名もこの湧水にちなむといわれ、また幕末頃の村絵図(西伯町誌)によれば溜池が四ヵ所造成されていた。
清水川村
しみずがわむら
[現在地名]平内町清水川
清水川の三角扇状地に立地し、東は口広沢村、南は薬師野村、西は浜子村に接し、北は陸奥湾に面する。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「清水川」とある。正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の田舎郡に村高三六・八五石、うち田方七・三五石とある。元禄二年(一六八九)の黒石平内巳年郷帳(市立弘前図書館蔵)には口広沢村と合せて一四三・七一七石とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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