清水庄
しみずのしよう
古代の犬上郡清水郷(和名抄)に成立した庄園で、江戸時代の清水村を遺称地とする。本庄と新庄に分れ、本庄は勧修寺(現京都市山科区)領。長治三年(一一〇六)三月八日の日吉社交名注進(山口光円氏本打聞集裏文書)に「清水庄」とみえ、当庄下司で犬上郡河原庄(甲良庄、現甲良町)の庄長でもある秦吉則は愛智新宮の神事を勤仕していた。寛喜三年(一二三一)九月二一日、伊勢奉幣役の免除を願出た勧修寺領清水庄は、建久年間(一一九〇―九九)の免除証文の提出を命じられている(民経記)。正応二年(一二八九)一〇月、奈良東大寺は末寺である勧修寺領の当庄に乱入した悪党の逮捕・禁獄と、これを命じた殿法印道淳と二条殿法印良宝の処罰を求めている(「東大寺衆徒解案」東大寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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