清水澄(読み)シミズ トオル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「清水澄」の解説

清水 澄
シミズ トオル


専攻分野
憲法学,行政法学

肩書
枢密院議長

生年月日
慶応4年8月12日(1868年)

出生地
石川県金沢

学歴
東京帝大法科大学仏法科〔明治27年〕卒

学位
法学博士〔明治38年〕

経歴
明治27年内務省に入り、ドイツに留学。帰国後31年学習院教授、38年憲法学、行政法学の研究で法学博士。39年行政裁判所評定官、大正11年同長官。この間、東大講師、帝国学士院会員、東宮御学問所御用掛となる。昭和9年枢密顧問官、10年帝国美術院長、16年高等捕獲審検所長官、19年枢密院副議長、21年枢密院議長を歴任。22年9月22日公職追放を受けた直後の25日、熱海投身自殺した。

没年月日
昭和22年9月25日

家族
息子=清水 虎雄(東洋大教授)

資格
?国学士院会員〔大正15年〕

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「清水澄」の解説

清水 澄
シミズ トオル

大正・昭和期の公法学者 枢密院議長。



生年
慶応4年8月12日(1868年)

没年
昭和22(1947)年9月25日

出生地
石川県金沢

学歴〔年〕
東京帝大法科大学仏法科〔明治27年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治38年〕

経歴
明治27年内務省に入り、ドイツに留学。帰国後31年学習院教授、38年憲法学、行政法学の研究で法学博士。39年行政裁判所評定官、大正11年同長官。この間、東大講師、帝国学士院会員、東宮御学問所御用掛となる。昭和9年枢密顧問官、10年帝国美術院長、16年高等捕獲審検所長官、19年枢密院副議長、21年枢密院議長を歴任。22年9月22日公職追放を受けた直後の25日、熱海で投身自殺した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清水澄」の解説

清水澄 しみず-とおる

1868-1947 明治-昭和時代官僚,法学者。
慶応4年8月12日生まれ。内務省にはいり,東京府参事官,学習院教授をへて,昭和7年行政裁判所長官,9年枢密顧問官,10年帝国美術院院長。21年最後の枢密院議長となり,帝国憲法改正に反対し,天皇制護持を主張。昭和22年9月25日自殺。80歳。加賀(石川県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「清水澄」の解説

清水 澄 (しみず とおる)

生年月日:1868年8月12日
大正時代;昭和時代の官僚。学習院大学教授
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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