日本歴史地名大系 「清野村」の解説
清野村
せいのむら
清野村
きよのむら
松代町の西南にあり、南は
「高白斎記」の天文二二年(一五五三)に「清野左近太夫」の名がみえる。清野氏は村上氏の支族で応仁年中(一四六七―六九)村上国寿軒の時、清野に移り、その子徳寿軒が清野氏を称するに至ったという(松代町史)。また下諏訪秋宮造宮帳の天正六年(一五七八)には、「清野領」があり、そこで一〇貫文の寄進未納のあったことがみえ、翌七年正月には下諏訪春宮造宮帳でも「正物壱貫七百文 長窪之郷
清野村
せいのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報