朝日日本歴史人物事典 「渋川敬直」の解説
渋川敬直
生年:文化12(1815)
江戸後期の暦学者。渋川景佑の長男。六蔵と称し天文方見習の身分のまま書物奉行となり,切米200俵を受けた。天文方の俸給がふつう100俵高のときであったから才気,手腕のほどがわかる。蘭学や英語に通じ天保11(1840)年『英文鑑』を訳述した。その才気を買う老中水野忠邦の諮問に応じ蘭学取り締まりの意見書を幕府に上申したり,オランダ国王の書簡を翻訳などしていたが,その間に知り得た国家機密を漏らしたとして忠邦の失脚とともに弘化2(1845)年江戸町奉行鳥居耀蔵らとお咎めをうけ,臼杵藩主稲葉観通にお預けとなり幽閉の身のまま臼杵で没した。
(内田正男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報