(松岡英夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸時代、天保(てんぽう)の改革期の幕臣。名は忠耀(ただてる)。幕府儒官林衡(たいら)(述斎)の次男。2500石取の旗本鳥居一学の養子となる。幕府目付(めつけ)役となったのち、1841年(天保12)御勝手(おかって)取締掛を兼任、同年12月矢部駿河守定謙(するがのかみさだのり)のあと江戸南町奉行(みなみまちぶぎょう)に就任、甲斐(かい)守となる。水野忠邦(ただくに)の側近で、渋川六蔵(ろくぞう)、後藤三右衛門(さんえもん)とともに「水野の三羽烏(さんばがらす)」と称された。江戸庶民には「妖怪(ようかい)」(耀甲斐(ようかい))と恐れられるほどの強権政治を行ったが、目付として大塩平八郎の乱(1837)の事後処理にあたった経験がそうさせたともいわれる。39年江川英龍(ひでたつ)との対立、渡辺崋山(かざん)らを告発し処罰に追い込んだ「蛮社(ばんしゃ)の獄」や43年高島秋帆(しゅうはん)の下獄など開明派を弾圧し、内外の危機への回避策を幕府専権で守旧派の立場から推し進めようとした。上知(あげち)令では最後に反対派に回り水野と対立、失脚した水野の老中への再登場で罷免される。45年(弘化2)水野再辞任、その処罰の翌日、讃岐(さぬき)国(香川県)丸亀(まるがめ)藩主預けとなり、同年10月に禁固の処罰が下された。明治維新で放免。
[浅見 隆]
『佐藤昌介著『洋学史研究序説』(1964・岩波書店)』▽『北島正元著『水野忠邦』(1969・吉川弘文館)』
江戸末期の幕臣。大学頭林述斎の三男,のち旗本鳥居一学の養子となる。名は忠耀。甲斐守。2500石。1837年(天保8)目付,41年町奉行,43年勘定奉行兼任となる。この間,1839年には江戸湾防備のため伊豆・相模・房総沿岸の巡視を伊豆韮山代官江川太郎左衛門とともに命じられる。翌40年には蛮社の獄で洋学者を弾圧,高島秋帆の西洋砲術採用策を批判し,町奉行在職中は厳しい江戸市中の取締りを断行して,江戸町人から甲斐守忠耀をもじって妖怪(耀甲斐)と恐れられ,かつ反感の的となった。また高島秋帆疑獄事件を引き起こして捕らえるなど,一貫して洋学を敵視した。老中水野忠邦の支持をうけて天保改革期に活躍したが,上知令・印旛沼工事等で水野と対立し,さらに老中阿部正弘らとオランダ国書問題で対立したといわれ,44年に罷免となり,京極高朗に預けられて讃岐丸亀に流謫され,明治維新まで同地に在住した。
執筆者:藤田 覚
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1796.11.24~1873.10.3
江戸後期の幕臣。父は大学頭林述斎。鳥居家の養子。名は忠耀(ただてる)。甲斐守。目付時代に江川太郎左衛門英竜とともに江戸湾海防巡見を行うが,改革案で江川と対立,洋学者への反感から蛮社の獄(ばんしゃのごく)を引き起こした。1841年(天保12)南町奉行となり,老中水野忠邦の改革政治の実行者として市中取締に辣腕をふるい,妖怪(耀甲斐)と恐れられた。44年(弘化元)開国勧告のオランダ国書を巡る評議で老中阿部正弘と対立,在任中の不正が発覚して免職改易された。
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…千葉県北部,印旛郡のほぼ中央,利根川下流にある沼。かつての沼の形はW字形で,周囲47km,面積20km2,最深所2m,両総台地の水を集める鹿島川と神崎川が沼に流入し,長門川から利根川に排水していた。かつては利根川の増水とともに逆流し,沼の周辺はしばしば水害に襲われた。長門川がつくった逆デルタは有名な地形である。近世の3回の干拓計画はいずれも失敗したが,1946年農業用地造成を目的とする国営の干拓事業が開始され,63‐69年水資源公団によって大改造が行われた結果,沼の面積と形態が大きく変わった。…
…なかでも奢侈の抑制は微細にわたり,江戸の町触(まちぶれ)において,女髪結(おんなかみゆい)の禁止,高価な櫛・笄(こうがい)・きせるの売買禁止,早作り野菜やぜいたくな料理の販売禁止など,町人の日常生活を厳しく規制するほか,芝居小屋を郊外に移転させたり寄席を閉鎖するなど,風俗匡正に名をかりて庶民の娯楽にも制限を加えた。江戸の町奉行に抜擢(ばつてき)された鳥居耀蔵(ようぞう)は,市中に隠密を放って違反者の摘発に努め,禁を犯した者には厳罰で臨んだため,市中は火の消えたようになった。 飢饉以来騰貴を続けた物価を引き下げることは改革の重要課題であった。…
… 崋山の蘭学が経世的性格をもつ以上,漢学との衝突は不可避であり,したがって幕府の文教をつかさどる林家一門の恨みを買うのは当然のなりゆきであった。なかでも崋山とその同志を敵視したのは,林述斎の次男鳥居耀蔵であった。鳥居は当時目付の職にあり,幕臣の監察にあたっていただけに,江川・羽倉らの幕臣が崋山と接近することを知って,しだいに警戒心を強めていった。…
※「鳥居耀蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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