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渡辺千秋 わたなべ ちあき

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美術人名辞典の解説

渡辺千秋

明治・大正期の官僚。信濃高島藩士政徳の子。号楓関。藩校長善館で法学を修める。維新後伊那県庁で高島藩淮少参事・筑摩県典事・鹿児島県書記官。宮内省に入り内蔵頭を経て宮内次官に就任し、宮内大臣となる。男・伯爵となる。大正10年(1921)歿、79才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

渡辺千秋 わたなべ-ちあき

1843-1921 明治-大正時代の官僚。
天保(てんぽう)14年5月20日生まれ。渡辺政徳の長男。渡辺国武の兄。もと信濃(しなの)(長野県)高島藩士。藩校長善館にまなび,尊攘(そんじょう)運動に活躍。明治10年鹿児島県大書記官として西南戦争後の処理にあたり,13年同県令,19年知事。のち北海道庁長官,内務次官,貴族院議員,京都府知事,宮内次官をつとめ,43年宮内相。伯爵。大正10年8月27日死去。79歳。号は楓関。

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朝日日本歴史人物事典の解説

渡辺千秋

没年:大正10.8.27(1921)
生年:天保14.5.20(1843.6.17)
明治大正期の官僚。父は高島藩(長野県)藩士政徳。渡辺国武は弟。千冬は3男(国武の養子)。藩校長善館に学び,勤皇派として活動ののち,明治2(1869)年,伊那県に出仕する。5年筑摩県に移り以後累進し,権参事となる。9年東京上等裁判所詰を経て,翌年5月2日,新任の岩村通俊鹿児島県令に従い,同県大書記官として西南戦争下の鹿児島に着任した。以後,13年に同県令(19年に官制改正により知事)となり,23年まで道路開鑿,蚕業振興,馬産奨励に努めた。24年5月大津事件が起こると,行政裁判所評定官から滋賀県知事に転じ,事件の収拾に当たった。在任1カ月で北海道庁長官に抜擢され,道庁官吏の綱紀を粛正(職務外営利事業の禁止など),薩派勢力を一掃した。25年7月白根専一次官更迭に揺れる内務省の次官となる。27年1月次官辞職後,貴族院勅選議員となり,42年まで在職。この間,27年11月京都府知事,28年宮内省内蔵頭となる。42年宮内次官兼内蔵頭兼帝室林野管理局長官となり,枢密顧問官に任ぜられる。43年から宮内大臣の職にあり,皇室の代替わりに立ち会ったのち,大正3(1914)年公職を辞した。明治20年代には松方正義に近く,30年代には伊藤博文に接近した。33年男爵,40年子爵,44年伯爵に叙せられている。<参考文献>松下軍次『信濃名士伝』,歴代知事編纂会『日本の歴代知事』1,2下,3下

(柴崎力栄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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