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渡辺重名 わたなべ しげな

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美術人名辞典の解説

渡辺重名

国学者。通称竹之丞・造酒・上野介、名は堅石、号は楽山・二幸楼。古表神社大宮司従五位下越後守重堅の子。豊前中津生。日野資枝荒木田久老本居宣長について国学を学ぶ。中津藩校進修館の国学教授となり多くの門人を養成した。また高山彦九郎とも交友があった。著書に『木柴之雪』『萩の古枝』等がある。天保元年(1830)歿、72才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

渡辺重名 わたなべ-しげな

1759-1831* 江戸時代後期の国学者。
宝暦9年3月16日生まれ。豊前(ぶぜん)の八幡古表(こひょう)神社(福岡県吉富町)の神職。荒木田久老(ひさおゆ),日野資枝(すけき),本居宣長(もとおり-のりなが)の門にまなび,寛政2年中津藩校進脩館の国学教授となる。天保(てんぽう)元年12月23日死去。72歳。初名は堅石(かきわ)。通称は造酒(みき)。号は楽山,二幸楼。著作に「木柴(こしば)の雪」「深山(みやま)の落葉」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

渡辺重名

没年:天保1.12.23(1831.2.5)
生年:宝暦9.3.16(1759.4.13)
江戸後期の国学者。通称造酒。名堅石。号,楽山,二幸楼。重名は日野資枝により与えられた名。豊前中津(大分県)の古表神社神官渡辺重堅の子。父の命により兄石見守重喬の猶子となり家を継ぐ。安永5(1776)年家を脱して上京,漢籍を学び頼春水,柴野栗山らと交わる。天明2(1782)年,伊勢の荒木田久老に入門し国学を学ぶ。4年,衣紋家の高倉家へ入門,また日野資枝に歌道入門。7年本居宣長に入門。宣長には「都人まだふみなれぬ足引のやまとの道は君しるべせよ」と厚い信頼の歌を寄せられた。寛政2(1790)年,中津藩校進脩館の国学教授となり,多くの門人を育成した。青柳種信,長瀬真幸と共に九州三大家と称された。<参考文献>松本義一「渡辺重名と本居家との交渉」

(飯倉洋一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

わたなべしげな【渡辺重名】

1759‐1830(宝暦9‐天保1)
江戸後期の国学者。名は堅石,通称は造酒また上野介,号は楽山,二幸楼。豊前中津の人で,古表八幡祠官。荒木田久老,日野資枝,本居宣長に師事。中津藩主奥平昌男・昌高に仕え,藩校進脩学館の国学教授として藩士の教育に力を注いだ。またその学問は子重蔭,孫重春,重石(いかり)丸に継承された。著書は《神罰即報論》《萩の古枝》《深山の落葉》《東上日記》《木柴の雪》《楽山二幸楼歌集》など。【鈴木 淳】

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