日本大百科全書(ニッポニカ) 「渡辺雲照」の意味・わかりやすい解説
渡辺雲照
わたなべうんしょう
(1827―1909)
幕末、明治期の真言宗の僧。釈(しゃく)雲照ともいう。出雲(いずも)国(島根県)神門郡(かんどごおり)東園村、渡辺忠左衛門の四男に生まれる。1836年(天保7)岩屋寺慈雲(いわやじじうん)のもとで出家。1844年(弘化1)高野山(こうやさん)に遊学し華厳(けごん)、密教、天台、雲伝(うんでん)神道を学んだ。1868~1869年(明治1~2)廃仏棄釈(きしゃく)の行われるのを嘆き、仏教各宗派の学僧によって仏教復興を目ざして結成された諸宗同徳会盟に加わって戒律の復活を主張し、『僧弊一洗官付建白』数回に及ぶ。1874年山科(やましな)派本山勧修寺(かじゅうじ)門跡となる。1879年真言宗の教学の統一を策し、東京湯島の霊雲寺に真言宗各派の代表95名を集め、自ら委員長となって大成会議を開催するが、雲照の戒学復興の主旨がいれられなかったので、宗門を離れ、1883~1884年東京・京都に十善会を設立する。1887年目白僧園を開き戒律主義による教育を行う。1890年全国各地に十善会支会の設立をみた。1896年仁和(にんな)寺門跡となる。
[池田英俊 2017年10月19日]
『草繋全冝編著『釈雲照』全3巻(1913~1914・徳教会/複製・1978・東洋書院)』▽『草繋全冝著『雲照大和上伝』(1961・大覚寺)』