デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯川麑洞」の解説 湯川麑洞 ゆかわ-げいどう 1814-1874 江戸後期-明治時代の儒者。文化11年生まれ。斎藤拙堂(せつどう)らにまなび,大塩平八郎の私塾洗心洞の都講(助教)となる。天保(てんぽう)8年(1837)大塩の乱を察知し,郷里の紀伊(きい)新宮(和歌山県)にかえる。江戸でまなび,明治2年新宮藩の藩校育英堂の督学となった。明治7年10月死去。61歳。名は浴。字(あざな)は君風。通称は新,清斎。別号に彙撰,墨仙堂。著作に「経書釈義」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例