湯浅芳子(読み)ユアサ ヨシコ

20世紀日本人名事典 「湯浅芳子」の解説

湯浅 芳子
ユアサ ヨシコ

大正・昭和期の翻訳家,随筆家 元・婦人民主新聞編集長。



生年
明治29(1896)年12月7日

没年
平成2(1990)年10月24日

出生地
京都府京都市

本名
湯浅 ヨシ

学歴〔年〕
早稲田大学文学部露文科〔大正13年〕中退

経歴
昇曙夢に師事してロシア語を学ぶ。早大中退後、雑誌・新聞記者となり、大正13年中条(宮本)百合子と知り合う。離婚した百合子と共同生活を営み、昭和2年から3年間、百合子とともにモスクワ留学。この間の生活は、百合子の「二つの庭」「道標」に作中人物として描かれている。帰国後、ナップに所属しプロレタリア文学運動に参加。8年検挙・拘禁ののち執行猶予となる。10年頃よりロシア文学の研究・紹介に従事。代表的な訳書に、チェーホフ「桜の園」「三人姉妹」「かもめ」、ゴーリキー幼年時代」「世の中へ出て」、マルシャーク「森は生きている」など。また随筆集「いっぴき狼」がある。戦後、22年に「婦人民主新聞」の編集長としても活躍した。平成4年翻訳劇に資金助成する公益信託湯浅芳子記念翻訳劇助成基金が設立され、6年湯浅芳子賞が新設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「湯浅芳子」の意味・わかりやすい解説

湯浅芳子
ゆあさよしこ
(1896―1990)

ロシア文学者、翻訳家。京都府生まれ。本名ヨシ。早稲田(わせだ)大学露文科の聴講生となる。1924年(大正13)中条(宮本)百合子(ゆりこ)と知り合い、一時共同生活をし、さらに27年(昭和2)から3年間、ともにソビエトに滞在した。執筆活動は31年以降活発となり、発表誌は『戦旗』『プロレタリア文学』『女人(にょにん)芸術』『文学評論』『行動』などの文学運動機関誌が主であったが、『文芸春秋』『世界』などの総合誌にも執筆。ツルゲーネフ、サルティコフ・シチェドリン、チェーホフ、ゴーリキーなど19世紀から20世紀のロシア文学の翻訳紹介が多い。随筆集『いっぴき狼(おおかみ)』(1966)、『狼いまだ老いず』(1973)、編著に『百合子の手紙』(1978)などがある。

[尾形国治]

『『狼いまだ老いず』(1973・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯浅芳子」の解説

湯浅芳子 ゆあさ-よしこ

1896-1990 大正-昭和時代のロシア文学者,翻訳家。
明治29年12月7日生まれ。昭和2-5年中条(宮本)百合子とともにモスクワに留学。帰国後,プロレタリア文学運動に参加。22年「婦人民主新聞」編集長となる。平成2年10月24日死去。93歳。京都出身。早大中退。本名はヨシ。訳書にチェーホフ「桜の園」,ゴーリキー「幼年時代」,随筆集に「狼いまだ老いず」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「湯浅芳子」の解説

湯浅 芳子 (ゆあさ よしこ)

生年月日:1896年12月7日
大正時代;昭和時代のロシア文学者;翻訳家
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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