改訂新版 世界大百科事典 「満蒙独立運動」の意味・わかりやすい解説
満蒙独立運動 (まんもうどくりつうんどう)
大正期の軍部,大陸浪人を中心とする満蒙独立の陰謀計画。(1)第1次 1912年に辛亥革命で清朝が滅亡すると,南満州,東部内モンゴル(蒙古)の独占支配をめざす参謀本部と大陸浪人川島浪速らは,清朝の粛親王を擁して満州に独立政権をつくり,同時に蒙古王カラチン,パリンに資金と武器を与えて独立させる計画をたて,実行に移した。計画は外務省の反対と満州軍閥張作霖との対立で挙兵中止となった。(2)第2次 第1次世界大戦中に中国侵略政策をおしすすめた日本政府は,1915年に袁世凱の帝制に反対する第三革命の勃発に乗じて反袁政策を強めた。翌年1月参謀次長田中義一,外務省政務局長小池張造らを中心に,陸・海・外務3省の中堅幹部は粛親王の宗社党やパプチャップの蒙古軍を利用して再び満蒙独立計画を策謀し,大隈重信内閣もこれを黙認した。しかし,外務省の出先領事らの張作霖利用の主張や田中次長の賛成もあって計画は二つに分裂し,同年6月の袁世凱の急死によって中止と決定した。しかし現地の軍人や川島らは中止に反対して,パプチャップ軍と行動を起こしたが,結局9月に中止の方針を受け入れた。これらの計画は失敗したとはいえ,大陸政策における軍部独走の先駆として注目される。
執筆者:由井 正臣
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