源朝長 みなもとの-ともなが
1144-1160* 平安時代後期の武将。
天養元年生まれ。源義朝(よしとも)の次男。平治(へいじ)の乱の敗戦で父や兄義平,弟頼朝ら一族と東国にむかう途中,比叡山(ひえいざん)僧兵の攻撃で股(もも)に矢傷をうける。進行困難となり,美濃(みの)(岐阜県)青墓で平治元年12月29日自害。16歳。翌月2日父に刺殺されたともいう。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の源朝長の言及
【朝長】より
…前ジテは青墓の宿(しゆく)の長(ちよう)。後ジテは源朝長の霊。朝長に縁の深い僧(ワキ)が,その死を弔うために美濃の青墓に赴くと,墓前で中年の女(前ジテ)を見かける。…
※「源朝長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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