精選版 日本国語大辞典 「僧兵」の意味・読み・例文・類語
そう‐へい【僧兵】

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僧兵とは、寺院僧徒が集団をなして武器をとった姿である。また法師(ほっし)武者ともよばれ、平安末期に白河(しらかわ)法皇が「賀茂(かも)川の水、双六(すごろく)の賽(さい)、山法師、是(これ)ぞ朕(ちん)が心に随(したが)わぬ者」と述べるほど、僧兵の勢力は強大であり、その組織はさらに寺院連合によって、平家などの武士をも圧倒するほどであった。
兵器をとって闘争に従う僧侶(そうりょ)の出現は、5世紀中ごろの中国にみられるという。わが国では平安時代になって、律令(りつりょう)制の崩壊によって、増大した寺領荘園(しょうえん)を各寺院が自衛する必要が生じたので、非常の場合、寺院集会(しゅうえ)を催して軍団を組織したのである。僧兵の勢力の強大をもって知られた寺院は、興福(こうふく)・東大・延暦(えんりゃく)・園城(おんじょう)の四大寺のほか、高野山(こうやさん)・金峯山(きんぶせん)・熊野(くまの)・多武峰(とうのみね)・白山(はくさん)・彦山(ひこさん)などの諸山のほか、醍醐(だいご)・鞍馬(くらま)・根来(ねごろ)・播磨大山(はりまだいせん)・伯耆(ほうき)大山の諸寺などである。とくに興福寺の僧兵は奈良法師、延暦寺は山法師、園城寺は寺法師とよばれた。
その発生を考えてみると、多くの集会をもつ寺院においては、その集会が統制ある議決をなしたとき、それは一大勢力として団結されるものであり、堂衆(どうしゅ)らの違約的な行動は厳重に戒められたのである。東大寺の場合は両堂衆(法華(ほっけ)堂衆・中門堂衆)、興福寺では東金堂衆・西金堂衆の間に多少の違論はあっても学侶(がくりょ)の指導のもとになされる神輿(しんよ)動座や神木動座の前には、かかる問題は小事として排除され、寺家一大事の前には一大合同がなされるのが当然であって、われわれが僧兵論を展開するとき、これら学侶の集団指導性に重点を置くべきである。そしてこの学侶らが他寺の学侶(東大寺、興福寺、園城寺など)と共同戦線をもつとき、源氏・平氏をもしのぐ軍事力となる。寺院でも、貴族と血縁的関係のある良家の子弟と、強力な発言力をもつ学侶は寺内に優位を保って、律宗分といわれる両堂衆とは官位的にも経済的にも階層を異にするのであるから、かかる社会制度が慣習化している寺院では、単なる学侶の弱体化によって堂衆の集団指導性が寺院内で増大するとは考えがたい。そこで、僧兵集団を二つに分類し、学侶・堂衆集団と、郷民・荘民(神人(じにん))集団とに分けるのが至当と考えるものである。そして両者を統率しているのがやはり学侶集団であり、その学侶集団は主として寺院の中堅を握る中﨟(ちゅうろう)層にあり、この中堅層の動きが僧兵集団を形成指導していたのであろう。この僧兵という軍団組織への改変の手続は、恒例の手掻会(てがいえ)などの祭礼に対する番役、すなわち恒例夫役(ぶやく)を非常のときには臨時夫役に切り替え、刀杖(とうじょう)を持ち、学侶は裹頭(かとう)(白五条袈裟(けさ)で頭部を包む)して薙刀(なぎなた)を持つことによって、そのまま軍団として成立展開するのであって、学侶集会はそのまま作戦集会ともなり、ついで神輿動座という軍事行動に移っていったのである。法会と祭礼に動かす人々を集める寺社の方法は、すぐにそれが兵力の母体ともなるのである。
このように学侶の集団指導性が確立され、十分に計画が練られても、その組織内容において、やはり僧兵軍団は混成的な要素をもちやすいのであって、この弱点を抑えるためにも神威を借る神木・神輿の動座を図らねばならなかった。さらにこの場合においても群衆心理はつきまとうものであるから、末端に対する学侶の指導性は確立しがたいことは、現在のいろいろな事例をみても明らかである。宮中や公家(くげ)よりする、悪僧すなわち僧兵という概念はこうしてできあがったのであって、いままでの公卿(くぎょう)の日記のみで僧兵を論ずることは、けっして適正ではない。また一般的には僧兵の発生は、その集団的指導力、すなわち寺院内の集会制度の発達に基づくものである。そして学侶の寺院社会における集団指導性の欠如を伴うにつれ、平安後期になってより堂衆、寺領荘民に押された強大なる武力が発達して、僧兵は悪徒化したと考えられている。
[平岡定海]
『平岡定海著『日本寺院史の研究』(1981・吉川弘文館)』▽『辻善之助著『日本仏教史』全三巻(1960~61・岩波書店)』▽『勝野隆信著『僧兵』(1955・至文堂)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
南都北嶺などの顕密寺社の武装した僧,またその集団。そうよばれる特定の人あるいは集団が中世に存在したわけではなく,各寺院の学衆や堂衆全体からなる大衆(だいしゅ)(衆徒(しゅと))が必要に応じて武装・決起したものを近世以降こうよんだ。大衆は10世紀半ば以後自治を強化し,院・房ごとに結集して武力を保持。寺院内部の検断事件や寺領荘園に対する国司の違乱,住人の反抗などに際し,寺院大衆は一致武装して蜂起し敵対者を威嚇,朝廷に圧力をかけた。延暦寺の山法師や興福寺の奈良法師などの活動が知られ,平安後期~鎌倉時代の南都北嶺の強訴(ごうそ)は,公武権力の政策決定に大きな影響を及ぼした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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