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僧兵 そうへい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

僧兵
そうへい

武装した下級僧侶をいう。中世以前には主として悪僧と呼ばれた。平安時代律令制が乱れ,寺院が自衛のため下級僧侶や雑人などを武装させて盗賊などの難にそなえたため,諸寺院に僧兵が急増した。

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デジタル大辞泉の解説

そう‐へい【僧兵】

平安後期以降、興福寺延暦寺園城寺などの大寺で、武芸を練り、仏法守護の名目で戦闘に従事した僧。しばしば朝廷や幕府に強訴(ごうそ)し、戦乱にも参加したが、織田信長豊臣秀吉により滅ぼされた。悪僧。

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百科事典マイペディアの解説

僧兵【そうへい】

武装した僧侶。10世紀末ごろから寺院の僧兵の活躍がみられ,延暦(えんりゃく)寺園城(おんじょう)寺興福寺東大寺などの諸寺院では数千の僧侶・俗人を養っていた。
→関連項目南都北嶺根来衆

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世界大百科事典 第2版の解説

そうへい【僧兵】

古代・中世における武装した僧侶の称。ただし当時の史料には〈僧兵〉の語は見いだしがたく,近世における造語と考えられる。そこで〈僧兵〉を古代・中世の歴史的用語とすることはできないが,史料上に〈悪僧〉〈法師武者〉と現れ,寺院社会内の公認の下に,時に臨み武装して社会的影響力を及ぼした僧侶集団を〈僧兵〉と呼ぶ。 畿内・近国諸寺院の僧兵のありさまは,《平家物語》をはじめ軍記物に生き生きと描き出され,また鎧に法衣をまとい,袈裟で頭を裹(つつ)む僧兵の姿は,《天狗草子》等の絵巻物に見られよう。

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大辞林 第三版の解説

そうへい【僧兵】

古代・中世の武装した僧侶集団の称。在地地主や武士に抗して寺院・寺領を支配すべく出現したが、特に平安末期には強大な勢力となり、しばしば強訴・闘争を繰り返した。興福寺・東大寺・延暦寺・園城寺などのものは有名。法師武者。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

僧兵
そうへい

僧兵とは、寺院僧徒が集団をなして武器をとった姿である。また法師(ほっし)武者ともよばれ、平安末期に白河(しらかわ)法皇が「賀茂(かも)川の水、双六(すごろく)の賽(さい)、山法師、是(これ)ぞ朕(ちん)が心に随(したが)わぬ者」と述べるほど、僧兵の勢力は強大であり、その組織はさらに寺院連合によって、平家などの武士をも圧倒するほどであった。
 兵器をとって闘争に従う僧侶(そうりょ)の出現は、5世紀中ごろの中国にみられるという。わが国では平安時代になって、律令(りつりょう)制の崩壊によって、増大した寺領荘園(しょうえん)を各寺院が自衛する必要が生じたので、非常の場合、寺院集会(しゅうえ)を催して軍団を組織したのである。僧兵の勢力の強大をもって知られた寺院は、興福(こうふく)・東大・延暦(えんりゃく)・園城(おんじょう)の四大寺のほか、高野山(こうやさん)・金峯山(きんぶせん)・熊野(くまの)・多武峰(とうのみね)・白山(はくさん)・彦山(ひこさん)などの諸山のほか、醍醐(だいご)・鞍馬(くらま)・根来(ねごろ)・播磨大山(はりまだいせん)・伯耆(ほうき)大山の諸寺などである。とくに興福寺の僧兵は奈良法師、延暦寺は山法師、園城寺は寺法師とよばれた。
 その発生を考えてみると、多くの集会をもつ寺院においては、その集会が統制ある議決をなしたとき、それは一大勢力として団結されるものであり、堂衆(どうしゅ)らの違約的な行動は厳重に戒められたのである。東大寺の場合は両堂衆(法華(ほっけ)堂衆・中門堂衆)、興福寺では東金堂衆・西金堂衆の間に多少の違論はあっても学侶(がくりょ)の指導のもとになされる神輿(しんよ)動座や神木動座の前には、かかる問題は小事として排除され、寺家一大事の前には一大合同がなされるのが当然であって、われわれが僧兵論を展開するとき、これら学侶の集団指導性に重点を置くべきである。そしてこの学侶らが他寺の学侶(東大寺、興福寺、園城寺など)と共同戦線をもつとき、源氏・平氏をもしのぐ軍事力となる。寺院でも、貴族と血縁的関係のある良家の子弟と、強力な発言力をもつ学侶は寺内に優位を保って、律宗分といわれる両堂衆とは官位的にも経済的にも階層を異にするのであるから、かかる社会制度が慣習化している寺院では、単なる学侶の弱体化によって堂衆の集団指導性が寺院内で増大するとは考えがたい。そこで、僧兵集団を二つに分類し、学侶・堂衆集団と、郷民・荘民(神人(じにん))集団とに分けるのが至当と考えるものである。そして両者を統率しているのがやはり学侶集団であり、その学侶集団は主として寺院の中堅を握る中(ちゅうろう)層にあり、この中堅層の動きが僧兵集団を形成指導していたのであろう。この僧兵という軍団組織への改変の手続は、恒例の手掻会(てがいえ)などの祭礼に対する番役、すなわち恒例夫役(ぶやく)を非常のときには臨時夫役に切り替え、刀杖(とうじょう)を持ち、学侶は裹頭(かとう)(白五条袈裟(けさ)で頭部を包む)して薙刀(なぎなた)を持つことによって、そのまま軍団として成立展開するのであって、学侶集会はそのまま作戦集会ともなり、ついで神輿動座という軍事行動に移っていったのである。法会と祭礼に動かす人々を集める寺社の方法は、すぐにそれが兵力の母体ともなるのである。
 このように学侶の集団指導性が確立され、十分に計画が練られても、その組織内容において、やはり僧兵軍団は混成的な要素をもちやすいのであって、この弱点を抑えるためにも神威を借る神木・神輿の動座を図らねばならなかった。さらにこの場合においても群衆心理はつきまとうものであるから、末端に対する学侶の指導性は確立しがたいことは、現在のいろいろな事例をみても明らかである。宮中や公家(くげ)よりする、悪僧すなわち僧兵という概念はこうしてできあがったのであって、いままでの公卿(くぎょう)の日記のみで僧兵を論ずることは、けっして適正ではない。また一般的には僧兵の発生は、その集団的指導力、すなわち寺院内の集会制度の発達に基づくものである。そして学侶の寺院社会における集団指導性の欠如を伴うにつれ、平安後期になってより堂衆、寺領荘民に押された強大なる武力が発達して、僧兵は悪徒化したと考えられている。[平岡定海]
『平岡定海著『日本寺院史の研究』(1981・吉川弘文館) ▽辻善之助著『日本仏教史』全三巻(1960~61・岩波書店) ▽勝野隆信著『僧兵』(1955・至文堂)』

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