源道済
没年:寛仁3(1019)
生年:生年不詳
平安中期の漢詩人,歌人。光孝天皇から出た賜姓源氏で公忠の曾孫,方国の子。文章生から長徳4(998)年宮内少丞となり,蔵人,式部大丞などを経て,長和4(1015)年筑前守兼大宰少弐となったが,任地で没した。和漢兼作の人で詩人としては大江以言に師事し,『本朝文粋』『本朝麗藻』などに作品がある。歌人としては中古三十六歌仙のひとりに数えられ,『道済集』,歌学書『道済十体』があり,『拾遺集』以下の勅撰集に55首入集。和漢の才を生かして漢詩文の素材を取り込んだ和歌も詠んでいる。『江談抄』に,人に「船路君」や「大法会の師子(獅子)」などのあだ名を付けたというエピソードがある。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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源道済 みなもとの-みちなり
?-1019 平安時代中期の官吏,歌人。
源信明(さねあきら)の孫。源方国(まさくに)の子。正五位下,筑前守(ちくぜんのかみ)兼大宰少弐(だざいのしょうに)となり,寛仁(かんにん)3年任地で死去。中古三十六歌仙のひとり。歌学書「道済十体」をのこし,勅撰集には「拾遺(しゅうい)和歌集」以下に61首はいる。大江以言(もちとき)に師事,漢詩にもすぐれた。家集に「道済集」。
【格言など】おもひかねわかれしのべをきてみればあさぢが原にあきかぜぞふく(「詞花和歌集」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の源道済の言及
【拾遺和歌集】より
…《拾遺集》と略称する。撰者は明らかでないが,花山院([花山天皇])が藤原長能(ながよし),源道済(みちなり)ら近臣の歌人たちの助力を得て撰集したものか。成立年時も明確でなく,1007年(寛弘4)までに成ったと推定され,花山院晩年の和歌愛好の産物らしい。…
※「源道済」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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