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詞花和歌集 しかわかしゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

詞花和歌集
しかわかしゅう

平安時代後期の第6勅撰和歌集。崇徳 (すとく) 院の下命により藤原顕輔 (あきすけ) 撰。 10巻。仁平年間 (1151~54) 完成。奏上後に若干の削除があり,伝本は初度本と精撰本とに分れる。部立は『金葉集』と同じく春,夏,秋,冬,賀,別離,恋 (上下) ,雑 (上下) であるが,連歌の部立はない。

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デジタル大辞泉の解説

しかわかしゅう〔シクワワカシフ〕【詞花和歌集/詞華和歌集】

平安後期の勅撰和歌集八代集の第六。10巻。崇徳院の院宣により、藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)が撰し、仁平元年(1151)ごろ成立。四季・賀・別・恋・雑に部立て。歌数409首。詞花集。

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百科事典マイペディアの解説

詞花和歌集【しかわかしゅう】

平安後期,6番目の勅撰集。10巻。歌数約400首。1144年崇徳上皇の院宣を受けて藤原顕輔(あきすけ)〔1090-1155〕が撰した。1151年初度本が完成。歌数は八代集中最少。
→関連項目奥義抄藤原清輔

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世界大百科事典 第2版の解説

しかわかしゅう【詞花和歌集】

平安末期の歌集。勅撰和歌集の第6番目。藤原顕輔(あきすけ)撰。10巻。崇徳院の院宣をうけ,1151年(仁平1)奏覧した。歌数400首余りで八代集中最少。保守・革新両派の調和的傾向を示すが,《無名抄》に〈軽々なる歌〉が多いと非難された一面もあり,《後葉和歌集》は,これを難じて成立した私撰集である。前代歌人の曾禰好忠和泉式部の歌が多いのも特色。当代歌人では大江匡房,崇徳院,撰者顕輔らの歌が多い。【上条 彰次】

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大辞林 第三版の解説

しかわかしゅう【詞花和歌集】

六番目の勅撰和歌集。一〇巻。崇徳上皇の下命で藤原顕輔が撰。1151年頃成立。歌数約四一〇首。初度本・精撰本がある。「軽々」な風体の集として高く評価されなかったが、その多様な歌風のうちに金葉集を継承する新しい和歌の流れが感じとれる。八代集の一。詞花集。詞花。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

詞花和歌集
しかわかしゅう

平安朝第6番目の勅撰(ちょくせん)和歌集。10巻。崇徳院(すとくいん)の下命で、藤原顕輔(あきすけ)が撰進した。1144年(天養1)下命ののち7年を経て、51年(仁平1)に完成、院の意志でさらに7首を削って409首の第二次精撰本が完成。もっとも小規模な勅撰集である。顕輔の撰集は、前代歌人を重視し、冒険を避けたが、崇徳院はことに歌道に熱心で、当代の新風も摂取、撰集資料源にあてるべく「久安(きゅうあん)百首」を催すなどの意欲をみせていたため、集のできばえには不満を抱いたらしい。顕輔も新風に理解を示す幅広い歌人であったが、晴儀の勅撰集には、洗練された格調の高い叙情、清新で気品をたたえた優美な観照を尊んだため、集の基調はやや保守的な姿にまとまった。それでも古今風の機知の安易な継承にたつ諧謔(かいぎゃく)や、新奇な表現も散見され、集の品格を損ずることにもなっている。藤原俊成(しゅんぜい)、忠通(ただみち)、家成(いえなり)、教長(のりなが)ら、当代歌人の軽視や、古今尊重の不徹底に対する種々の論難も現れ、これに対抗して寂超の『後葉集』、藤原教長の『拾遺古今』が撰(えら)ばれた。[近藤潤一]
『井上宗雄・片野達郎校注『詞花和歌集』(1970・笠間書院) ▽松田武夫著『詞花集の研究』(1960・至文堂) ▽『谷山茂著作集3 千載和歌集とその周辺』(1982・角川書店)』

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