源長寺(読み)げんちようじ

日本歴史地名大系 「源長寺」の解説

源長寺
げんちようじ

[現在地名]小谷村大字千国 宮ノ下

慈眼じげん山源長寺。現大町おおまち市大字大町曹洞宗霊松れいしよう寺の末寺となっている。

天元元年(九七八)に水鏡院殿月嘯宗心大居士なる者が、当時はまだ千国の中心的存在であった黒川くろかわに建てた長玄ちようげん寺が、当寺の前身であり、下って天正元年(一五七三)無常院殿古山明鏡大居士が開基となり、霊松寺の大運宗広が開山となって現在地に源長寺を創建したと寺伝にいう。


源長寺
げんちようじ

[現在地名]羽生市藤井上組

藤井上組ふじいかみぐみの西端に所在する。曹洞宗、大鷲山と号し、本尊釈迦如来。江戸時代は茂林もりん(現群馬県館林市)末。永正年中(一五〇四―二一)年叟正甫によって開かれたという。年叟は永正一三年没。開基は羽生城主木戸忠朝だが、中興開基と伝えられる。忠朝は天正三年(一五七五)没という(風土記稿)。同一九年五月一日の羽生城主大久保忠隣家臣の鷺坂道可定書写(風土記稿)には、年来大破に及んでいたことが記され、寺中・門前屋敷等を安堵されているので、木戸氏没落後は一時衰退していたのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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