瀬場村(読み)せばむら

日本歴史地名大系 「瀬場村」の解説

瀬場村
せばむら

[現在地名]立川町立谷沢たちやざわ

月山の東斜面に端を発するほん沢は北流して大小多数の渓流を集め、やや西流してたま川と合流し立谷沢川となる。その合流点左岸に位置し、上瀬場と下瀬場の二集落に分れる。北は大中島おおなかじま村。天正一八年(一五九〇)一一月二日の本庄繁長裁許状写(鶏肋編)によれば、繁長は遠路の使者派遣の褒賞として瀬場の地を稲葉内匠助に与えている。元和八年(一六二二)酒井氏が信州松代まつしろ(現長野市)から庄内移封された際、越後の瀬場・中継なるところから金掘衆が移住し、瀬場から移った者は上瀬場、中継から移った者は下瀬場に入り、故郷をしのんで村名にしたと伝える(「瀬場村由来之書類」瀬場村文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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