瀬底島・瀬底村(読み)せそこじま・しーくむら

日本歴史地名大系 「瀬底島・瀬底村」の解説

瀬底島・瀬底村
せそこじま・しーくむら

[現在地名]本部町瀬底せそこ

瀬底島は本部もとぶ半島の西側、健堅けんけん沖合約六三〇メートルに位置する。面積二・九九平方キロ、最高点七六・〇メートルの低島(サンゴ島)。西洋梨の形で南側が細く、南北約一・二キロ、東西約一・九キロ。瀬底は方音ではシークまたはシスクという。「海東諸国紀」所載の琉球国之図には「師子島」とあり、その東方、沖縄島の間には「世世九浦 有人居」とみえる。「ペリー艦隊日本遠征記」の付図にはSUCO I.(スク島)とみえ、瀬底村の集落の辺りにはSisucoとある。島の大部分は第四紀の琉球石灰岩で構成されるが、中央部には古生代二畳紀―中生代三畳紀の本部石灰岩(本部層)が分布する。二段の海岸段丘が島を同心円状に取巻き、北海岸の段丘崖対岸の健堅や大浜おおはま方面からみると屏風状を呈する。集落は最高位の段丘面上に形成される。現在対岸の大浜と瀬底大橋(一九八四年開通)で結ばれている。島内には貝塚時代とグスク時代の遺跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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