日本大百科全書(ニッポニカ) 「シーク」の意味・わかりやすい解説
シーク
しーく
Ota Šik
(1919―2004)
チェコ出身の経済学者。プルゼニに生まれ、プラハのギムナジウム在学中マルクス主義学生サークルに参加、1940~45年マウトハウゼン(オーストリア)の強制収容所に収容された。第二次世界大戦後学業を終え、共産党政治大学教授(1952~58)、党社会科学アカデミー教授(1958~61)、科学アカデミー経済研究所長(1962~68)を歴任、62年には党中央委員に選ばれる。スターリン批判前後より改革派的な議論を展開していたが、68年「プラハの春」が開始されるや、急進的改革論者として登場、副首相として経済改革の推進にあたった。同年8月のソ連など5か国軍(ワルシャワ条約機構軍)による軍事介入後、スイスに亡命、70年には市民権を剥奪(はくだつ)された。70~91年の間はスイスのザンクト・ガレン経済社会大学教授を務め、資本主義でも社会主義でもない「第三の道」を提唱したことで知られる。1983年スイス国籍を取得したが、「ビロード革命」(1989年の共産党政権崩壊)後の90年チェコ政府により名誉回復され、一時大統領ハベルの顧問会議メンバーでもあった。アマチュア画家としても一流で、プラハで個展を開いたこともあった。
[佐藤経明]
『篠田雄次郎訳『新しい経済社会への提言――もう一つの可能性を求めた第三の道』(1976・日本経営出版会)』▽『高橋正雄・渡辺文太郎訳『クレムリン――官僚支配の実態』(1983・時事通信社)』▽『古河幹夫訳『人間の顔をした経済システム』(1992・海青社)』