瀬棚村(読み)せたなむら

日本歴史地名大系 「瀬棚村」の解説

瀬棚村
せたなむら

[現在地名]瀬棚郡瀬棚町字本町ほんちよう・字三本杉さんぼんすぎ・字東大里ひがしおおさと・字南川みなみかわ・字共和きようわ、北檜山町字北檜山・字徳島とくしま・字兜野かぶとの・字丹羽にわ・字東丹羽ひがしにわ・字西丹羽にしにわ・字愛知あいち・字豊岡とよおか・字松岡まつおか・字小倉山おぐらやま

明治初年から明治三五年(一九〇二)までの瀬棚郡の村。現瀬棚町の南部に位置し、西は日本海に面し、南境は後志利別しりべしとしべつ川の河口である。村内を狩場かりば山地に発する馬場ばば川が南西流し、流域に草原湿地が広がる。村は近世セタナイ場所の中心地のセタナイを包含して成立。明治三年陸奥斗南藩の所轄時に、士族一三戸が馬場川河畔に入植開墾を始めたという(状況報文)。明治五年開拓使函館支庁の瀬棚出張所が置かれた。「後志国地誌提要」に村名がみえ、戸数四四、人口僧侶一、平民男八一・女七一、アイヌ男二五・女二一。

瀬棚村
せたなむら

明治三五年(一九〇二)から大正九年(一九二〇)まで存続した瀬棚郡の自治体名。瀬棚郡瀬棚村・虻羅あぶら村・島歌しまうた村・中歌なかうた村・梅花都ばいかつ村が合併し二級町村として成立。明治三五年の戸数八〇二・人口四千八六七(「町村別戸口表」市立函館図書館蔵)。同三八年三本杉さんぼんすぎに雑貨商池田保兵衛が劇場池田座を開業。同四〇年瀬棚―室蘭街道、瀬棚―函館街道が仮定県道に指定される。同四三年国縫くんぬい(現長万部町)との間に乗合馬車運行。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報