無著道忠(読み)むじゃくどうちゅう

精選版 日本国語大辞典 「無著道忠」の意味・読み・例文・類語

むじゃく‐どうちゅうムヂャクダウチュウ【無著道忠】

  1. 〘 名詞 〙 江戸中期臨済宗の僧。但馬国兵庫県)生まれ。号は葆雨堂・照冰堂。妙心寺龍華院の竺印の門にはいり、各地で禅のほか諸宗の学を学び、中国思想にも通じた。著「禅林象器箋」。承応二~延享元年(一六五三‐一七四四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「無著道忠」の意味・わかりやすい解説

無著道忠
むじゃくどうちゅう
(1653―1744)

江戸時代の臨済宗の僧。照冰堂(しょうひょうどう)、葆雨堂(ほううどう)と号する。但馬(たじま)(兵庫県)の人。幼くして出石(いずし)の如来(にょらい)寺にて出家、のち妙心寺竜華院(りゅうげいん)の竺印祖門(ちくいんそもん)(1610―1677)に参じて得法、25歳で竜華院に入る。55歳で京都妙心寺住持となり、退休後は著作に没頭した。江戸時代における臨済宗の代表的な学匠で、生涯の著作は255種、873巻を超えるともされる。禅宗の祖録、経典の校勘や注釈をはじめ、禅語や俗語の研究、清規(しんぎ)の研究など、終始厳密な研究の態度を堅持した。その成果は現代においても十分に評価され、近年、著作の影印本も何点か刊行されている。代表的な著作に『禅林象器箋(ぜんりんしょうきせん)』『葛藤語箋(かっとうごせん)』『百丈清規左觽(ひゃくじょうしんぎさけい)』『虚堂録犂耕(きどうろくりこう)』『正法眼蔵僭評(しょうぼうげんぞうせんぴょう)』『臨済録疏瀹(りんざいろくそやく)』などがある。

[永井政之 2017年10月19日]

『飯田利行著『学聖無著道忠』(1942・青悟堂)』『柳田聖山著『禅学研究55 無著道忠の学問』(1966・禅学研究会)』

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朝日日本歴史人物事典 「無著道忠」の解説

無著道忠

没年:延享1.12.23(1744.1.25)
生年:承応2.7.25(1653.9.16)
江戸中期の臨済宗の僧。但馬(兵庫県)の人。8歳で京都妙心寺塔頭竜華院の竺印祖門の弟子となった。諸国行脚ののち,竺印の示寂のあとを継いで竜華院2世となる。妙心寺に輪住を含め3度住持し,晩年は竜華院に退き著述に専念した。江戸期の臨済宗を代表する碩学で,語録を正確に読むことに重点を置き,校勘,考証,批評の研究手順を踏んだ。その研究成果は全著述374種,911冊に上るとされる。また反黄檗派の人として知られる。<著作>『禅林象器箋』『葛藤語箋』『正法山誌』『黄檗外記』<参考文献>飯田利行『学聖無著道忠』

(志部憲一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「無著道忠」の解説

無著道忠 むじゃく-どうちゅう

1653-1745* 江戸時代前期-中期の僧。
承応(じょうおう)2年7月25日生まれ。臨済(りんざい)宗。京都妙心寺竜華院の竺印(じくいん)祖門に師事。竜華院2世をつぎ,宝永4年(1707)から3度にわたり妙心寺住持となる。宗門史を研究した学僧で,「禅林象器箋(しょうきせん)」20巻ほかおおくの著作をのこした。延享元年12月23日死去。92歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。別号に葆雨(ほうう),照冰(しょうひょう)堂。

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367日誕生日大事典 「無著道忠」の解説

無著道忠 (むじゃくどうちゅう)

生年月日:1653年7月25日
江戸時代前期;中期の臨済宗の僧
1744年没

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