日本歴史地名大系 「熊内村」の解説 熊内村くもちむら 兵庫県:神戸市中央区熊内村[現在地名]中央区熊内町一―九丁目・熊内橋通(くもちばしどおり)一―七丁目・旗塚通(はたづかどおり)一―七丁目・神若通(かみわかどおり)一―七丁目・国香通(くにかどおり)一―七丁目・若菜通(わかなどおり)一―六丁目中(なか)村の北、六甲(ろつこう)山地南麓山寄りに位置する。生田(いくた)川が北西隅を流れ、川の東岸山地南端に砂(いさご)山がある。慶長国絵図に熊内村とみえ、高六四三石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では同高で、幕府領。同年七月尼崎藩領(「大垣藩地方雑記」岐阜県立図書館蔵)。正保郷帳では高六四三石余、ほかに新田高五七石余。 熊内村くもちむら 三重県:多気郡宮川村熊内村[現在地名]宮川村熊内茂原(もばら)村の西、宮川の右岸にある。文禄検地帳(徳川林政史蔵)に「三瀬谷之内熊内村」と記される。開発の史料として宝永四年(一七〇七)新畑亥改検地帳(同蔵)がある。当村へは天(あま)ヶ瀬(せ)から舟渡しもあり、近世は炭の産出地であった。「五鈴遺響」に「紀州領主ノ炭役庁アリ、大杉山谷ノ民貢献ノ炭ヲ収斂シテ四方ニ鬻キ出ス」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by