熊坂庄(読み)くまさかのしよう

日本歴史地名大系 「熊坂庄」の解説

熊坂庄
くまさかのしよう

現熊坂町を中心とした熊坂川流域の狭隘谷田、北は大聖寺だいしようじ川との合流点付近、南西は現福井県金津かなづうしに接する地域に比定される。大治二年(一一二七)頃と推定される四月六日の散位藤原某書状(半井家本「医心方」巻二五裏文書)に「熊坂御庄」とみえる。安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書)によると当庄は「庁分御庄」であった。本家職は八条院(鳥羽天皇皇女)死後、春華門院昇子(後鳥羽天皇皇女)からその生母宜秋門院任子(九条兼実の女、後鳥羽天皇中宮)を経て任子の甥九条道家に伝えられた。道家は建長二年(一二五〇)一一月日の初度惣処分状(九条家文書)において、夭折した長子教実の室九条禅尼(九条忠家生母)から宣仁門院彦子(四条天皇女御)に渡し、彦子の死後はその異母弟忠家の子孫に譲るよう指示した。しかし、同八年九月一七日、安嘉門院邦子(後高倉院皇女)は「後高倉院御譲状内御領」である熊坂庄を先に法華堂寄進していたが、それを撤回する意向を示したものの、翌正嘉元年(一二五七)九月七日、後嵯峨上皇院宣によって法華堂への寄進を再確認しており(経俊卿記)、正安四年(一三〇二)九月に後宇多上皇領となり、嘉元四年(一三〇六)六月一二日には昭慶門院憙子(亀山天皇皇女)伝領された(「昭慶門院領目録案」竹内文平氏旧蔵文書)。道家の処分状以後、九条家領から熊坂庄の名は消えるので、鎌倉期にはほぼ一貫して院領・女院領として伝領されたとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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