日本歴史地名大系 「熊淵村」の解説 熊淵村くまぶちむら 石川県:七尾市熊淵村[現在地名]七尾市熊渕町(くまぶちまち)石動(せきどう)山に源を発する熊渕川上流に位置し、東は山崎(やまざき)村。南の越中氷見郡境に蔵王(ざおう)山(五〇七メートル)がそびえる。同川沿いに上流から滝尻(たきのしり)・水上(みずかみ)・仏前(ほとけのまえ)・熊渕・生出(おいで)と東西約六キロに及んで五集落が散在し、谷間にわずかに田地が広がる。地名は住民に害をなす荒熊を阿良加志比古神・少彦名神が協力して退治したことに由来するとか、高麗(こま)ヶ淵の転訛であるとかいう(鹿島郡誌)。天正一〇年(一五八二)の検地歩帳(熊渕区有文書)に「大呑南方熊淵村」とみえ、田畑屋敷定高八町七反余、名請人二五人。初め加賀藩領。慶長一一年(一六〇六)から高三二四俵余が土方雄久領で、うち三割五分は百姓得分(土方雄久知行目録)。 熊淵村くまふちむら 秋田県:平鹿郡増田町熊淵村[現在地名]増田町熊渕北を成瀬(なるせ)川が流れ、対岸が増田村、浸食された台地に集落があり、田地も高低差が大きい。西は縫殿(ぬい)村、東は荻袋(おぎふくろ)村。「梅津政景日記」元和六年(一六二〇)四月二四日条に「仙台黒沢豊前百姓小右衛門・新蔵と申者、妻子共九人増田ノ内熊ノ淵へ参罷有候」とあり、仙台藩士後藤寿庵の百姓がいた。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に熊淵村新田として一二六石とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by