日本歴史地名大系 「片句浦」の解説 片句浦かたくうら 島根県:八束郡鹿島町片句浦[現在地名]鹿島町片句倉内(くらうち)湾を挟んで手結(たえ)浦の東に位置し、東は西(にし)山を境に水(みず)浦、南は佐陀本郷(さだほんごう)村など、北には日本海が広がる。ナズナ鼻・宮崎(みやざき)鼻がある。手結浦などとともに佐陀の海浜と称された(雲陽誌)。陸奥仙台藩伊達政宗の家臣であった片倉小十郎が一統を率いて当浦に上陸し住したことから村名になったとの伝承がある。片倉小十郎の墓とも、その一団の墓とも称する石碑が残る。正保国絵図に片句浦とみえる。元禄十年出雲国郷帳では高四五石余、寛文四年(一六六四)の本田高三一石余・新田高三石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by