片岡城跡(読み)かたおかじようあと

日本歴史地名大系 「片岡城跡」の解説

片岡城跡
かたおかじようあと

[現在地名]上牧町大字下牧

興福寺一乗院方国民片岡氏の城。下牧(しもまき)城ともいう。馬見(うまみ)丘陵西北端、下牧集落西方にあり、標高九〇メートルの台地を中心に、袖曲輪や掘割を残す。城跡周辺の小字にシロ・向城(むかいしろ)、通称名に鉄砲町(てつぽうまち)・御蔵跡(みくらあと)などがある。

「大乗院雑事記」によれば明応七年(一四九八)四月五日に筒井方の畠山尚順が「片岡」を攻落し、片岡・目安・薬井氏らが自害しているが、「片岡」が当城かどうか未詳。「王寺町史」所収の片岡系図によると片岡城は一六世紀初頭に片岡国春によって築かれたもので、「多聞院日記」によれば片岡春利の時、永禄一二年(一五六九)四月に松永勢に攻められ、一六日条に「片岡ノ城退城了」とみえ、片岡氏に代わって松永勢が入ったものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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