日本歴史地名大系 「下牧村」の解説
下牧村
しももくむら
寛文郷帳によると田方五七石余・畑方一三六石余、沼田藩領。寛文三年(一六六三)の真田領村高書上控では高八七一石余。天和元年(一六八一)の郷村品々記録(小林文書)に当村内の新田として
下牧村
しもまきむら
下牧村
しもまきむら
寛永備前国絵図に村名がみえ、高二八五石余。「備陽記」によると田畠二一町八反余、家数七二・人数五三八、高瀬船一四。文化年間の「岡山藩領手鑑」では直高五〇九石余、蔵入と家臣六名の給地。田高一八〇石余・畑高一三〇石余、家数一二三・人数五九八、牛三八、池七、樋七、猟師鉄砲三挺、藍瓶一本、猟船二・作船四・高瀬船一七を有し、漁労・舟運に従事するものがいた。
下牧村
しもまきむら
下牧村
しもまきむら
下牧村
しもまきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報