片門渡(読み)かたかどのわたし

日本歴史地名大系 「片門渡」の解説

片門渡
かたかどのわたし

片門村と船渡ふなと村の間にあった只見ただみ川の渡場。北条時頼が諸国歴遊の際、ここを渡してくれた船頭早川の姓を与えたと伝える。永正三年(一五〇六)一〇月二八日の蘆名盛高判物(新編会津風土記)に「かたかとのわたし守の事」とあり、渡守次郎兵衛の権利を保証している。もとは越後街道の裏街道として利用されていたが、寛永年間(一六二四―四四)越後街道の本街道となって以来人馬往来が多くなり、船渡村とともに相駅を勤める宿場とされた。塔寺とうでら村より二九町四五間、野沢のざわ(現西会津町)まで三里五町一七間を継ぎ、月の半分を勤めた(新編会津風土記)。貞享二年(一六八五)の「野沢組風俗改帳」によれば、船賃は一人六文、荷物一駄八文、追馬一匹一〇文で、船頭は二人で勤めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む