福島県西部、南会津郡にある町。1959年(昭和34)只見村が朝日村を編入して町制施行。JR只見線、国道252号、289号が通じる。只見川とその支流伊南川(いながわ)流域の町で、豪雪地帯。伊南川河畔に水田が開ける。中世の伊北郷(いほうごう)の地。近世には越後(えちご)(新潟県)との境の八十里越(はちじゅうりごえ)の叶津(かのうづ)口、六十里越の田子倉(たごくら)口には会津藩の口留(くちどめ)番所が置かれた。只見川電源開発計画事業により田子倉ダムが建設され、田子倉地区の45戸が水没した。新潟県境の浅草岳や田子倉湖一帯は越後三山只見国定公園の一部。室町時代建築の成法寺観音堂(じょうほうじかんのんどう)、江戸中期の本百姓家屋旧五十嵐家住宅(きゅういがらしけじゅうたく)は国の重要文化財。2003年(平成15)には「会津只見の生産用具と仕事着コレクション」が国の重要有形民俗文化財に指定された。面積747.56平方キロメートル、人口4044(2020)。
[安田初雄]
『『只見町郷土史資料集 1~9』(1964~1968・只見町)』▽『『図説会津只見の歴史』(1970・只見町)』▽『『只見町史』全6巻(1993~2004・只見町)』
福島県西部,南会津郡の町。人口4932(2010)。会津と越後とを隔てる越後山脈中にあって只見川上流域を占める。面積の大部分を山林が占め,冬季の積雪量が3~5mにも達する日本有数の豪雪地帯である。近世には越後に通じる八十里越,六十里越のふもとに会津藩の口留番所が置かれた。中心集落の只見は只見川と伊南(いな)川の合流点にあり,1959年田子倉ダム,61年奥只見ダムの完成によって急速に都市化が進み,奥只見観光の基地となった。電源開発事業の終了とともに一時過疎化が進んだ。その後観光開発の振興などでその打開を図っているが,近年,人口は減少傾向にある。ゼンマイ,シイタケ,ナメコなどの特産があり,夏秋野菜や花卉の栽培も盛ん。成法寺観音堂や南会津の代表的民家旧五十嵐家住宅は重要文化財に指定されている。JR只見線が東西に走る。
執筆者:佐藤 裕治
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