日本歴史地名大系 「牛川村」の解説 牛川村うしかわむら 愛知県:豊橋市牛川村[現在地名]豊橋市牛川町赤石(あかいし)山脈の西麓にあたり、暮川(くれがわ)村の南、仁連木(にれんぎ)村の北にある。永正二年(一五〇五)以後つねに吉田藩領であった。三河国吉田領人馬役割帳(島原市本光寺蔵)に載る慶長九年(一六〇四)の検地高は七〇六石余。当村の東にある石巻(いしまき)山麓の通称牛川原の原野を開拓して相次いで新田ができた。忠興(ただこう)新田は慶安二年(一六四九)の開発といわれるが、開発者は不明。 牛川村うしかわむら 香川県:綾歌郡綾上町牛川村[現在地名]綾上町牛川羽床上(はゆかかみ)村の東に位置し、綾(あや)川支流の堂谷(どうだに)川と梶羽(かじわ)川に東西を挟まれ、これらが合流する綾川本流に北を限られる。浦谷(うらんたに)池の東方に牛川城跡があり、大手道とみられる山道に河原石が散在している。「玉藻集」によれば、城主は羽床伊豆守麾下の山田弥七郎で、伊豆守が西庄(にしのしよう)(現坂出市)の香川民部を攻めた時の先陣であったという。慶長一四年(一六〇九)の生駒一正預ケ状(生駒家宝簡集)で、牛川の高四〇四石余が尾池玄蕃に預けられている。寛永国絵図では山田郷の内。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by