牛渡村(読み)うしわたむら

日本歴史地名大系 「牛渡村」の解説

牛渡村
うしわたむら

[現在地名]出島村牛渡

霞ヶ浦の沿岸にあり、東は有河あるが村。中世南野みなみの庄に属し、小田氏一族が居住したと伝え、村内の八田はつた館跡は小田氏八代孝朝隠棲後の居館といわれる。孝朝は子の五郎とともに元中四年(一三八七)難台なんだい山に小山若犬丸を擁して兵を挙げたが、敗れて足利軍に降っている。江戸初期に下総関宿藩領となるが(寛文朱印留)、のち旗本領となる。

牛渡村
うしわたむら

[現在地名]浪江町牛渡

高瀬たかせ川北岸にあり、北は権現堂ごんげんどう村、東は南幾世橋みなみきよはし村。中世標葉氏の時代に標葉十三党の一人として牛渡播磨重清がおり(東奥標葉記)、村内に古館跡がある。正保郷帳では田方一〇二石余・畑方三八石余。元禄郷帳では高八二石余。寛永一六年(一六三九)の高一九八石余、明暦二年(一六五六)の高一〇八石余、元禄一五年(一七〇二)の高八二石余(奥相志)。天明三年(一七八三)の家数三、嘉永元年(一八四八)の家数六(検地石高収納戸口等調)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報