牟夜戸
むやのと
「万葉集註釈」所引の「阿波国風土記」逸文に「中湖トイフハ、牟夜戸与奥湖中に在ルガ故、中湖ヲ為名」とみえており、風土記成立時点の七一〇年代における阿波における三つの重要な津(港)の一つ。平城宮跡出土木簡に「阿波国進上御贄若海藻壱籠 板野郡牟屋海」と表れる牟屋海にかかわる。牟夜(牟屋)はのちの撫養である。旧吉野川河口にあたる撫養付近は阿讃山脈沿いの大道と岡崎および粟津を結ぶ低湿三角洲地帯になっており、周辺にある大津・木津・粟津などの地名からみても古代では要所要所に津が所在する内海になっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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