20世紀日本人名事典 「牧彦七」の解説 牧 彦七マキ ヒコシチ 明治〜昭和期の工学者 東京市道路局長。 生年明治3年(1870年) 没年昭和25(1950)年 出生地豊後国大分郡日岡村(大分県大分市) 学歴〔年〕東京帝国大学工科卒 学位〔年〕工学博士 経歴内務省の勅任技師となり、道路の改良について研究を進める。その傍らで外国語学校に学び、フランス語を修めた。のち、明治神宮造営局や鉄道院の各技師を経て大正12年東京帝大講師に就任。同年9月に関東大震災が起こると、請われて東京市土木局長となり、帝都の復興に尽力し、東京の都市計画の基盤を作った。13年内務省土木試験場長、次いで東京市道路局長などを歴任。また、大分県出身者として在京大分県人会を組織し、その会長も務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牧彦七」の解説 牧彦七 まき-ひこしち 1873-1950 明治-昭和時代前期の土木技術者。明治6年生まれ。台北・台南や埼玉・秋田県などの技師,内務省・明治神宮造営局・鉄道院の各技師をつとめる。大正12年東京帝大講師,翌年内務省土木試験所長,さらに東京市道路局長となる。関東大震災後の東京市の復興に尽力した。昭和25年死去。77歳。大分県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by