コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

牧野忠精 まきの ただきよ

2件 の用語解説(牧野忠精の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

牧野忠精

江戸後期の大名。越後長岡藩主。忠寛の子。幼名は新次郎、号は萬亭・乾々斎等。備前守から奏者番となり、のち所司代、老中へと進んだ。藩学崇徳館を設け、また伊藤東所に儒を学ぶ。文政11年(1828)歿、68才。(一説に天保2年歿、72才)

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

牧野忠精 まきの-ただきよ

1760-1831 江戸時代中期-後期の大名。
宝暦10年10月19日生まれ。牧野忠寛(ただひろ)の長男。明和3年7歳で越後(えちご)(新潟県)長岡藩主牧野家9代。松平定信(さだのぶ)の推挙で奏者番,寺社奉行,大坂城代,京都所司代をへて,享和元年老中となる。文化5年藩校崇徳館を創設。治水など藩の民政にも力をいれた。画にすぐれた。天保(てんぽう)2年7月10日死去。72歳。通称は新次郎。号に乾々斎,白甫。備前守(びぜんのかみ)。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の牧野忠精の言及

【長岡藩】より

…越後国(新潟県)古志郡長岡に藩庁を置いた譜代小藩。1618年(元和4)4月,すでに長岡城下の町づくりを始めていた蔵王(堂)城主堀直竒(なおより)が越後村上に移封された後をうけて入部した牧野忠成により創始され,明治の廃藩まで牧野氏の支配が続いた。藩祖忠成は徳川家康の重臣であった康成の子で,1616年7月に上州大胡(おおご)から越後長嶺(中頸城郡吉川町)城主に封ぜられたが,長嶺には入城しないまま直接長岡に入り,6万2000石を領した。…

※「牧野忠精」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

牧野忠精の関連キーワード林鮒主羅城明石宗伯大橋重雅奥田鶯谷鶴歩道人三鍼樗雲藤井樗亭森川袁丁

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone