日本歴史地名大系 「狩俣間切」の解説 狩俣間切かまたまぎり 沖縄県:宮古諸島平良市狩俣間切宮古島に置かれた琉球王国の地方行政区画。宮古島の北に突き出した半島部の大半と、半島の東方沖の大神(うがむ)島、同じく北沖の池間(いきやま)島にわたる。「球陽」尚豊王八年(一六二八)条に「麻姑山、始分平良・下地・砂川三郡」とあり、三郡すなわち三間切であるが、両島絵図帳には「かりまた間切」とみえる。同絵図帳によれば、東西一一町四〇間・南北一里三四町で、「根井間村」「かりまた村」「嶋尻村」、「大おかミ村」(大神村)、「いけま村」(池間村)の五ヵ村が属し、高頭一千五五七石余。正保国絵図では狩俣(かまた)村の辺りに「かりまた間切 千五百五十七石余」とあり、島尻(すまずー)村・大神島のみが記される。なお根井間(にーま)村は一七世紀中頃に狩俣村に編入されたと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by