狩俣村(読み)かまたむら

日本歴史地名大系 「狩俣村」の解説

狩俣村
かまたむら

[現在地名]平良狩俣かりまた

大浦うぷら村の北に位置し、東は島尻すまずー村に接する。北は海を隔てて池間いきやま島。北東方沖合に大神うがむ島がある。大城うぷぐふ御嶽仲間なーま御嶽・新城あらうす御嶽・磯津いすうつ御嶽などがあり、ウヤガン(祖神)祭などが行われている。神代大城御嶽に祀られる「豊見赤星てたなふら」という女が男女を生んだのが村の始まりという(御嶽由来記)。集落は近年まで城郭が張り巡らされ、東西南の三方に石門が設けられていたが、一八八二年(明治一五年)当時「村端ノ入口ニ石ヲ以テ大門ヲ構ヒ」、また「大門ニ連接シテ石垣ヲ囲繞シ其周域ヲ伸縮スルコトヲ禁」じ、かつ「囲繞外ヘ家屋ヲ造営スルコトヲ嫌フ否厳禁」としていたという(上杉県令巡回日誌)。集落の北東部丘陵にある狩俣遺跡では輸入陶磁器などが出土する。一四世紀中期頃に平良の糸数按司を滅ぼした小真良波按司(豊見親)は、妖術使いであったという(宮古島記事仕次)。同人は沖縄島津堅ちきん(現勝連町)の出身で、妖術で人を欺いた報いをうけ、溺死した(宮古島記事)。雍正旧記(仲宗根家本)が引く仲宗根豊見親の「八重山入の時あやこ」によれば、琉球王府による弘治一三年(一五〇〇)の八重山征討に際して狩俣から「みなこじ」のザモリャ、「かねや大つつの主」のツカサが参加している。この歌謡では宮古勢は与那国島の鬼虎を征討したことになっているが、鬼虎は狩俣から与那国に売られたという(宮古島記事)。両島絵図帳に「かりまた村」とみえ、高七八四石余。別に一七世紀中頃に狩俣村に編入される根井間にーま村が記載され、高二三一石余。正保国絵図に「かりまた間切」とみえ、村としての記載はないが、親道と考えられる朱線路と一里塚が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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