20世紀日本人名事典 「狩野探岳」の解説 狩野 探岳カノウ タンガク 明治・大正期の日本画家 生年安政6年8月3日(1859年) 没年大正11(1922)年1月8日 出生地江戸 本名狩野 守節 別名幼名=千々代,別号=多福庵,探道 主な受賞名〔年〕日本美術協会褒賞〔明治22年〕 経歴叔父の狩野探美に師事して画を学ぶ。海軍省や東京府役所に勤務しながら画業に励み、多くの作品を制作。明治15年第1回内国絵画共進会では「草木」「山水」を出品して入選。16年叔父探美の隠居に伴い、その跡目を継ぐ。日本美術協会会員として同会主催の展覧会でもたびたび作品を発表し、22年の同協会展では褒賞を受けた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「狩野探岳」の解説 狩野探岳 かのう-たんがく 1859-1922 明治-大正時代の日本画家。安政6年8月3日生まれ。狩野探原の子。叔父狩野探美に師事する。海軍省,東京府役所に勤務のかたわら制作し,明治15年の内国絵画共進会,22年の日本美術協会などに出品した。大正11年1月8日死去。64歳。江戸出身。本名は守節。別号に多福庵。作品に「草花」「山水」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by