日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本美術協会」の意味・わかりやすい解説
日本美術協会
にほんびじゅつきょうかい
美術団体。1879年(明治12)佐野常民(さのつねたみ)を会頭、九鬼隆一(くきりゅういち)を副会頭とする19名により、明治日本画壇の東京における最初の団体として「龍池(りゅうち)会」が結成された。その目的は伝統美術の再認識にあり、1881年からは観古美術会を主催、1885年『大日本美術新報』を創刊。1887年に会名を日本美術協会と改称、毎年春秋、日本画、彫刻、工芸、書を含む展覧会を開き、第二次世界大戦までに145回を記録した。しかし、その保守的傾向はのちに旧派、協会派とよばれ、文展・院展などの開催後はしだいに影響力を弱めた。創立当初中心となった作家に柴田是真(しばたぜしん)、森寛斎(もりかんさい)、田崎草雲(たざきそううん)、岸竹堂(きしちくどう)、滝和亭(たきかてい)、山名貫義(やまなつらよし)、川辺御楯(かわのべみたて)、川端玉章(かわばたぎょくしょう)、幸野楳嶺(こうのばいれい)などがいる。戦後は組織を新たにして日本画を主に各流各派を総合融合した絵画展を開催したが、1962年(昭和37)13回を記録して活動を中断。その後1972年に付属機関として上野の森美術館を設立している。
[佐伯英里子]