平安前期の真言(しんごん)宗の僧。備後(びんご)国(広島県)の人。若年で南都大安寺(だいあんじ)に住し、元興寺(がんごうじ)明詮(みょうせん)(789―868)に法相(ほっそう)を学び、宗叡(しゅうえい)に密教を学ぶ。887年(仁和3)源仁(げんにん)(818―887)から伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受け阿闍梨(あじゃり)となる。891年(寛平3)東寺(とうじ)第7代長者、894年東大寺別当、899年(昌泰2)宇多(うだ)天皇出家の戒師となり、901年(延喜1)に伝法灌頂を授ける。また、尚侍(しょうじ)藤原淑子(ふじわらのよしこ)の病気平癒に霊験あって、深く帰依(きえ)を受け、東山の山荘を賜って寺とした。これを円城寺といい、ここに寂したので円城寺僧正といわれる。彼の法流を継ぐ寛朝(かんちょう)がのちに嵯峨(さが)広沢(ひろさわ)の遍照寺(へんじょうじ)に住して法流を大いに広めたところから、広沢流の名がおこったが、広沢流の祖師は益信に帰せられる。1308年(延慶1)本覚(ほんがく)大師の号を賜る。著作は多数ある。
[平井宥慶 2017年10月19日]
平安前期の真言宗の僧。備前の人,品治氏の出で,本姓紀氏。石清水八幡宮を勧請した行教の兄と伝える。幼時大安寺に入り,出家受戒後,元興寺の明詮に法相を学び,ついで東寺の宗叡,源仁に密教を学んで,887年(仁和3)に源仁から密教の奥義を授けられ,翌年,権律師,東寺二長者に補せられた。さらに,891年(寛平3)第7代の東寺一長者に,894年,東大寺別当・法務に任ぜられるというように,仏教界の要職に就いた。当時,仏教に心を傾けていた宇多上皇は,899年(昌泰2),仁和寺で益信を戒師として出家した。益信は900年に僧正に補され,翌年には東寺で法皇に伝法灌頂を授けた。それより先,尚侍藤原淑子の病気平癒を祈って験あり,尚侍が建てた東山の円成(えんじよう)寺の別当に迎えられた。空海とその弟子たちが活動したあとを受けて,密教の興隆につくし,数々の密教の作法書などを著して,真言宗東密広沢流の開祖となった。1308年(延慶1),本覚大師の号を贈られた。
執筆者:大隅 和雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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